Turiyatita

トゥリーヤーティータ:第4の彼方から、伝統的ヨーガをベースに近隣ジャンルにも出没。 あるヨギーニ/瞑想者のブログです。 新月の日に更新します💻。 内発的動機付けという幸運があなたの前進を支えますように✨

トゥリーヤとは : 第4の意識状態について(2)― ラマナ・マハルシの講話から

 

Our real state is turiya or the fourth state which is always as it is.
つねに あるがままの状態であるトゥリーヤ、第四の状態が
われわれの真の状態なのだ。

 

トゥリーヤとは : 第4の意識状態について(2)

 

トゥリーヤとは?
アートマンブラフマンの真の姿について
― ラマナ・マハルシの講話から

 

本を開いた最初のページが「実在(reality)とは何か?」という
質疑応答内容でしたので、今回の記事は直球内容からご紹介したいと思います。

 

ラマナ・マハルシは、説明の仕方(使う語彙や表現)が、伝統的なヨガのものが
多いですね。

彼はとてもシンプルな説明をしてくれます。

 


 

 

What is reality?
実在とは何でしょうか?

 

Reality must be always real.
実在はつねに真実でなければならない。

 

It is not with forms and names.
That which underlies these is the reality.

それは名前も形ももたない。
名前と形の根底にあるもの、それが実在である。

 

It underlies limitations, being itself limitless.
It is not bound.

限られたものの根底にありながら、それ自体には限りがない。
それは束縛されない。

 

It underlies unrealities, itself being real.
実在ではないものの根底にありながら、それ自体は実在として在る。

 

Reality is that which is.
It is as it is.

存在するもの、それが実在である。
それはただあるがままに在る。

 

It transcends speech.
It is beyond the expressions "existence, non-existence", etc.

それは言葉を超えている。
それは「存在、非存在」などといった表現の彼方に在る。

 

The reality which is the mere consciousness
that remains when ignorance is destroyed along with knowledge of objects,
alone is the Self [atma].

ものごとの知識も無知もともにぬぐい去られたあとに残る
意識としての実在、
ただそれだけが真我(アートマン)である。

 

In that Brahma-swarupa [real form of Brahman],
which is abundant Self-awareness,
there is not the least ignorance.

そのブラフマ・スワルーパ(ブラフマンの真の姿)、
豊かな真我の覚醒のなかには
無知の影さえない。

 

The reality which shines fully, without misery and without a body,
not only when the world is known but also when the world is not known,
is your real form [nija-swarupa].

世界が知られるときだけではなく、世界が知られないときも、
不幸もなく、身体もなく輝く実在、
それがあなたの真の姿(ニジャ・スワルーパ)である。

 

The radiance of consciousness - bliss,
in the form of one awareness shining equally within and without,
is the supreme and blissful primal reality.

内側にも外側にも等しく輝く覚醒という姿の中の意識 —至福の輝き、
それが至高の、至福に満ちた根源的実在である。

 

Its form is silence
and it is declared by jnanies
to be the final and unobsturactable state of true knowledge [jnana].

その姿は沈黙であり、
何ものにも妨げられることのない究極の真の知識(ジニャーナ)だと
ジニャーニ(賢者)たちによって宣言されてきた。

 

Know that
jnana alone is non-attachment;
jnana alone is purity;
jnana is the attainment of God;
jnana which is devoid of forgetfulness of Self alone is immortality;
jnana alone is everything.

ジニャーナだけが無執着、
ジニャーナだけが純粋、
ジニャーナこそが神の成就、
真我を忘れることのないジニャーナだけが不死不滅、
ジニャーナだけがすべてだと知りなさい。

 

 


 ……ここに補足入れたら雰囲気ぶちこわしです、
 しかし書く。(笑)


 彼の「ブラフマン」=「アートマン」は「ニルグナ・ブラフマン」です。
 ブラフマンの、グナのない方。
 世界が知られないとき、世界がないときの方。

 ニルグナって何ブラフマンって何という話は長くなるのですが、
 …いずれまとめるとは思いますが、
 言葉で説明するより体験してもらったほうがはやいので
 興味があったら、是非、体験してください。(えっ)
 

 今回のブログは、意図的に、@世界が知られるときの
 世界についても関わっていく視点から書いていくつもりなのですが、

 …あ、世界が知られないときって、世界自体がないんですよ。

 「この宇宙が誕生する前から存在し、
  その中に宇宙が存在し、
  その中に宇宙が消え去るもの、それがブラフマン(ニルグナ)」
 とかさらっと言っちゃうのがインド哲学

 @物質次元の、太陽系とか天の川銀河レベルじゃないですよ。
 ビッグバンで宇宙が誕生する(仮)前からあって、
 やがて星々が燃え尽きて消滅する(仮)後にも残るものですよ。
 これ最強。
 

 もとい。(笑)

 たとえば 現代21世紀の物質次元における「世界」、人類が住む地球🌎は、
 交通手段 🏍 🚘🚋 🛳 🛩 の進化だけでなく
 インターネットで世界中が繋がってしまったこともあり、
 広さと深さと多様さと複雑さ(と抱える問題)(人為以外のものも含)が
 凄まじいことになっているわけですが、
 これたぶん、ここ1万年の人類史上@物質次元では、初めての状況です。


  『基本をこなしたら、応用に挑戦できる。』
      ↓
  『世界という応用に取り組む前に、
   至高の、至福に満ちた根源的実在(supreme and blissful primal reality)
   という基本をクリアしておこう。』
      ↓
  『まず最初に、真我(the Self [atma])を実現しよう。』


 このルートがしっくりくるあなた(舞台に上がって仕事をする水瓶座
 フォロー裏方魚座メンバー仲間ですね! ⓒ Master DK)、

 そして不撓不屈 ⓒ Swami Vivekananda の思慕&情熱を燃やしながら
 ヨガ街道を歩んでいるあなた(勿論 from 長きにわたる過去生です)、

 お会いできるのを楽しみにしています。


 Welcome Back To The Real Self For Ever

 To Bring Its Wonderful Possibility Into This World
 For Now
 And For our Better & Happier Future !!

 
 

 

For one who has realized his Self,
it is said that he will not have
the three states of wakefulness, dream and deep sleep.
Is that a fact?

真我を実現した人にとって、
目覚め、夢見、眠りの三つの状態は存在しないと言われています。
それは事実なのでしょうか?

 

What makes you say that they do not have the three states?
何があなたに、「実現した人は三つの状態をもたない」と言わせるのだろうか?

 

In saying "I had a dream; I was in deep sleep; I am awake",
you must admit that you were there in all the three states.
That makes it clear that you were there all the time.

「私は夢を見た、私は深い眠りの中にいた、私は目覚めた」と言うことで、
あなたは 三つの状態すべてに存在していたことを認めることになる。
それは、あなたが常にそこに存在していことを明らかにしている。

 

If you remain as you are now, you are in the wakeful state;
this becomes hidden in the dream state;
and the dream state disappears when you are in deep sleep.

もし今のままのあなたとしてあれば、あなたは目覚めの状態にいることになる。
夢見の状態のなかでは、目覚めの状態は隠されている。
そしてあなたが深い眠りの状態にいるとき、夢見の状態は消え去る。

 

You were there then, you are there now, and you are there at all times.
The three states come and go, but you are always there.

あなたはそのときそこにいた。
あなたは今そこにいる。
あなたはつねにそこにいる。
三つの状態は来ては去っていく。
だが、あなたはつねにそこにいる。

 

It is like a cinema.
The screen is always there
but several types of pictures appear on the screen and then disappear.
Nothing sticks to the screen, it remains a screen.

それはちょうど映画のようなものだ。
スクリーンはつねにそこにある。
だが、いくつかの画像がそこに現れ、そして消えて行く。
スクリーンには何も残らないが、スクリーン自体は残る。

 

Similarly, you remain your own Self in all the three states.
If you know that, the three states will not trouble you,
just as the pictures which appear on the screen do not stick to it.

同じように、
三つの状態すべてのなかで、 あなたは あなた自身の真我として とどまるのだ。
もしそれを知っていれば、
画像がスクリーン上に跡を残さないように、
三つの状態があなたに問題をもたらすこともないだろう。


On the screen,
you sometimes see a huge ocean with endless waves; that disappears.
Another time, you see fire spreading all around; that too disappears.
The screen is there on both occasions.
Did the screen get wet with the water or did it get burned by the fire?
Nothing affected the screen.

ときおり、あなたはスクリーンの上に広大な海と限りない波を見る。
そしてそれは消え去っていく。
別のときに、あなたは周りじゅう火に囲まれているのを見る。
それもまた消え去っていく。
どちらの場合もスクリーンはそこに存在している。
果たしてそのスクリーンは水によって濡れただろうか、
あるいは火によって燃えただろうか?
何もスクリーンに影響を与えることはなかった。

 

In the same way,
the things that happen during the wakeful, dream and sleep states
do not affect you at all;
you remain your own Self.

それと同じように、目覚め、夢見、深い眠りの状態のなかで起こったことが、
あなたに影響を与えることはまったくない。
あなたは真我としてとどまるのである。

 

 


 後ろから2段落目(の位置に来た文章)に出てきたスクリーンの内容は、
 『バガヴァッド・ギーター』の2章ででてくる

  「どのような武器を用いても
   魂(※訳語の日本語ではなく、意味で解釈のこと)
   切ったり破壊(こわ)したりすることはできない
   火にも焼けず 水にもぬれず
   風にも干からびることはない」 ⓒ田中玉訳

 のとこのたとえと似てますね。


 ……でもこれ、
 「海でサーフィンしてる」(から広大な海と限りない波を見ている)なら

 別にいいんですが、
 もし、「周りじゅう火に囲まれている」のを見るはめになったとしたら、

 あなたは真我だから 肉体が熱いと感じない!とか、

 スクリーンは影響をうけないから 火で燃えても肉体が焦げないのだ!とか、

 そんな阿呆なことは全く言ってないので、

 ほんとに周りじゅう火に囲まれたら、
 火を消すか、逃げ出して119に火事ですと通報してください。
 念のため。


 

 

Does that mean that although people have all three states,
wakefulness, dream and deep sleep, these do not affect them?

それはつまり、たとえ目覚め、夢見、深い眠りの状態にあっても、
それらが私に影響を与えることはないということでしょうか?

 

Yes, that is it.
All these states come and go.
The Self is not bothered;
it has only one state.

そのとおりだ。
これらの状態はみな 来ては去っていく。
だが、真我は惑わされない。
それはただひとつの状態なのである。

 

 

Does that mean that
such a person will be in this world merely as a witness?

そのような人は、
単に目撃者としてこの世界に在るだけということでしょうか?

 

That is so;
for this very thing, Vidyaranya, in the tenth chapter of the Panchadasi, gives
as example the light that is kept on the stage of a theatre.
When a drama is being played, the light is there, which illuminates,
without any distinction,
all the actors, whether they be kings or servants or dancers, and also all the audience.
That light will be there before the drama begins,
during the performance
and also after the performance is over.

そうだ。
このことから ヴィディヤーランヤは、『パンチャダシー』の第十章で
舞台上の照明の例を取り上げている。
芝居が演じられている間、照明はそこにあり、
王様であれ、召使いであれ、踊り子であれ、すべての役者たち、またすべての観客に
区別なく光を照らしている。
芝居が始まる前、上演の最中、そして終わったあとにもその照明はそこにあるだろう。

 

Similarly, the light within, that is, the Self,
gives light to the ego, the intellect, the memory and the mind
without itself being subject to processes of growth and decay.

それと同じように、真我である内なる照明は、
自我、知性、記憶、そして想念に光を与えながら、
それ自体は増大することも減少することもない。

 

Although during deep sleep and other states there is no feeling of the ego,
that Self remains attributeless, and continues to shine of itself.

深い眠りや気絶の状態の間、そこに自我の感覚はないが、
真我は属性をもたないままとどまり、それ自体で輝きつづけるのである。

 

Actually, the idea of the Self being the witness is only in the mind;
it is not the absolute truth of the Self.
Witnessing is relative to object witnessed.
Both the witness and his object are mental creations.

実際には、真我が世界の目撃者であるという観念は
心のなかにだけ存在している。
それは真我における絶対的な真実ではない。
目撃者は 目撃されている対象と相対的関係にある。
目撃者と目撃されるものは ともに 思考の産物なのである。

 



 最後の段落の(ところに来た)文章なんですが、
 「目撃される対象」「目撃されるもの」を「思考の産物(mental creations)」と
 言ってしまう場合、

 ………
 ……まあ、今はいいか……。(えっ)



 …いや、ここを
普通に読んでしまうと、
 たとえば、

 『あなたがこの記事を読むときに道具として使っている
  パソコンまたはスマホまたはタブレットは「あなたの思考の産物」なんです』
 とか言われても、
 『は?
  いやこの i PhoneつくったのApple(の製造工場)やし。
  自分が考えるだけで
  何もないところから煙のようにこれ創り出せたら天才やろ自分。
  むしろできるならやってみたいわそれ!
  ちなみにアイディアという意味ではスティーブ・ジョブスの産物。』

 みたく色々ツッコミいれたくなるかと思って(それはわたし)
 何かフォローしようかなと思ったんですが、

 体験したら意味わかるけど説明しようとするとまたなんか長くなるから、
 これにします ↓

 「そういう意味じゃない。(笑)」(過去の自分宛)


 このあとにも、
 「起きてる状態と夢見の状態は 心が生み出したもの(the result of the mind)」
 「心(mind)が真我に溶け去ったら
 見られるもの(ここでの意味は、起きてる状態、夢を見ながら眠っている状態、
 熟睡状態の3つ=人間生活全部という強烈内容)が消える」
 とかが出てくるんですけど、

 …自我の時点で想像/推理するときのこの「心(mind)」がね、
 皆、必ず、全然違うんですよ。
 ……正解の体験をお楽しみに!(えっ)

 

 

How are the three states of consciousness
inferior in degree of reality to the fourth [turiya]?
What is the actual relation
between these three states and the forth?

意識の三つの状態は 第四の状態(トゥリーヤ)と比較すると、
どれほど実在性の低い段階なのでしょうか?
三つの状態と第四の状態との実際の関係は何なのでしょうか?

 

There is only one state,
that of consiousness or awareness or existance.

ただひとつの状態だけが存在する。
それが意識、覚醒あるいは存在の状態である。

 

The three states of waking, dream and sleep cannot be real.
They simply come and go.
The real will always exist.

目覚め、夢見、深い眠りの三つの状態は 実在ではありえない。
それらは単に来ては去っていくものである。
実在はつねに存在し続ける。

 

The "I" or existance that alone persists in all the three states is real.
The other three are not real
and so it is not possible to say they have such and such a degree of reality.
三つの状態すべてのなかに存在しつづける「私」あるいは存在だけが
実在なのである。
他の三つの状態は実在ではない。
それゆえ、それらにいくらかでも実在性の段階があると言うことはできない。

 

We may roughly put it like this.
ただ、このようにおおまかに言うことはできるだろう。

 

  • Existance or consiousness is the only reality.
    存在または意識だけが唯一の実在である、と。

  • Consciousness plus waking, we call waking.
    意識に目覚めの状態を加えたものを、われわれは目覚めと呼ぶ。

  • Consciousness plus sleep, we call sleep.
    意識に眠りの状態を加えたものを、われわれは眠りと呼ぶ。

  • Consiousness plus dream, we call dream.
    意識に夢見の状態を加えたものを、われわれは夢見と呼ぶ。

 

Conscousness is the screen on which all the pictures come and go.
The screen is real, the pictures are mere shadows on it.

意識こそすべての画像がその上を去来するスクリーンなのだ。
スクリーンは実在であり、画像はその上の単なる影に過ぎない。

 

Because by long habit
we have been regarding these three states as real,
we call the states of mere awareness or consciousness the fourth.

われわれは 長い習慣から
三つの状態を実在と見なし、覚醒または意識の状態を第四の状態と呼んでいる。

 

There is however no fourth states, but only one state.

だが実際は、
第四の状態というものは存在せず、ただひとつの状態があるだけである。

 

There is no difference between dream and the waking state
except that the dream is short and the waking long.
Both are the result of the mind.
Because the waking state is long, we imangine that it is our real state.

夢は短く目覚めは長いということを除けば、夢見と目覚めの状態には何の違いもない。
どちらも心の生み出したものだ。
目覚めの状態のほうが長いために、われわれはそれを実在の状態だと想像している。

 

But, as a matter of fact,
our real state is turiya or the fourth state which is always as it is
and knows nothing of the three states of waking, dream or sleep.

だが実際には、
つねにあるがままの状態であるトゥリーヤ、第四の状態が われわれの真の状態なのだ。
トゥリーヤは 目覚め、夢見、深い眠りという三つの状態のことを何も知らない。

 

Because we call these three avasthas [states]
we call the fourth state also turiya avastha.

われわれがこれら三つをアヴァスター(状態)と呼ぶため、
第四の状態もまたトゥリーヤ・アヴァスターと呼んでいる。

 

But it is not an avastha, but the real and natural state of the Self.
だがそれはアヴァスターではなく、真我の真の本性の状態なのである。

 

When this is realised,
we know it is not a turiya or fourth state,
for a fourth state is only relative,
but turiyatita, the trancendent state.

これが実現されたとき、
われわれは それがトゥリーヤではなく
(なぜなら第四の状態はただの相対的概念でしかないため)
トゥリーヤーティータ、超越状態であることを知るのである。

 

  

But why should these three states come and go
on the real state or the screen of the Self?

しかし、なぜこれら三つの状態は、
実在あるいは真我のスクリーンの上を去来するのでしょうか?

 

Who puts this question?
Does the Self say these states come and go?

この質問をしているのは誰か?
三つの状態が去来すると真我が言うだろうか?

 

It is the seer who says these come and go.
The seer and the seen together constitute the mind.
See if there is such a thing as the mind.
Then the mind merges in the Self,
and there is neither the seer nor the seen.

それらが去来すると言うのは見る者なのだ。
見る者と見られるものが ともに 心を構成している。
心と呼べるようなものが存在しているかどうか見てみなさい。
そうすれば、心は真我のなかに溶け去る。
そこには、見る者も見られるものも存在しない。


So the real answer to your question is,
"They neither come nor go."

それゆえ、あなたの質問に対する本当の答えとは、
「それらは 来ることも去ることもない」である。

 

The Self alone remains as it ever is.
ただ真我だけが変わらず、あるがままにある。

 

The three states owe their existence to non-enquiry
and enquiry puts an end to them.

三つの状態はその存在を未探究に負っている。
深く探究していくと、三つの状態は消え去ってしまう。

 

However much one may explain, the fact will not become clear
till one attains Self-realisation
and wonders how one was blind to the self-evident and only existence so long.

いかに私が説明を重ねようとも、
あなた自身が真我を実現して、
疑いようもなく明白な唯一の実在に対して
今まで盲目であったことに自ら驚愕するまで、真実が明らかになることはないだろう。

 

 


 さあ、まずは驚愕しましょう。
 

  

 

 


 

今回の引用元の書籍はこちらです。
やっぱり英語原文があるとありがたいですね。

 

 

Be As You Are: The Teachings of Sri Ramana Maharshi
Kindle版)
英語引用元

Be As You Are:
The Teachings of Sri Ramana Maharshi
Edited by David Godman

 

 

あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え
日本語引用元

あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え
デーヴィッド・ゴッドマン
福間巌訳

 

参考:ラマナ・マハルシ - Wikipedia